東法連ニュース

第2020年(令和2年)6月号 第411号

【法人会の謎】ブロック分けの期限を推理する

 ある法人会の事務局から、四谷法人会(2ブロック)と新宿法人会(4ブロック)は同じ新宿区なのになぜブロックが違うのかという質問があった。確かに変だ。同じことは港区の芝法人会(1ブロック)と麻布法人会(2ブロック)にもいえる。その他の法人会は区が同じならばブロックも同じである。そこでその理由を古くからの事務局職員に聞いてみたり、文献を調べてみたがわからなかった。

 ここから先は推測の域を出ないのだが、ブロック分けの起源を推理してみた。


 最初は税務署が定めたものかと思っていたが、どうやら23区の歴史にその答えがあるようだ。東京都公文書館のホームページによると、23区の原型となる区が誕生したのは、明治11年(1878年)のことで、15区が置かれた。この旧15区は、皇居のある麹町区を起点として、時計回りに「の」の字を書くように区の順番が定められていた。

 麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川という順番である。ほぼ法人会でいう1ブロックと2ブロックが含まれている。順番も現在の法人会順に近い。この15区に新宿は含まれていない。

 また、芝と麻布はこの時点で別の区であり、神田、日本橋と西に向かっていく順番から東に折り返すのが麻布なので、ここでブロックを区切ったのかもしれない。この変遷が、同じ区でもブロックが違う理由ではないかと考えた。

 その後、明治29年には、税務署が設立され、四谷税務署、新宿の前身である淀橋税務署が誕生する。両税務署とも歴史ある税務署なのだ。しかも、当時四谷は麹町をも含んでおり、淀橋は現在の渋谷、中野、杉並、荻窪を含む大所帯の税務署であった。

 なお、この時計回りの順番は、徳川家康が江戸開発の際、堀で単純に囲むのではなく、末広がりに発展するよう、時計回りに掘り進めたことが関係しているようだ。

 この記事はあくまでも推測にすぎない。法人会のブロック分けについて詳しくご存知の方は、是非東法連までご一報いただきたい。

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